プロダクトではなくプロセスに投資する発想ーー「マンモス復活プロジェクト」から考える

「マンモス復活」。昨年秋、米国発のそんなニュースが報道された。ハーバード大学大学院の科学者と起業家がタッグを組み、遺伝子技術を用いてマンモスを現代に蘇らせるというジュラシックパークさながらのベンチャー企業が立ち上がった。数千〜1万数千年前という昔に絶滅した生き物を復活させる「研究」ならまだしも、それを資金調達が伴うスタートアップとして行うことに違和感を覚える人が多いと思うが、私は、ある観点から大きな関心を持ってニュースに接した。

基礎研究において、「成果」だけでなく、その「プロセス」という副産物こそ、評価されるべき価値があるのではないか、という視点だ。何か完全に新しいモノやコトをはじめようとしたとき、そのプロセスにも極めて価値の高い方法論がサブルーチンとして含まれることは往々にしてある。インターネットが今の形になるまでのプロセスを長く研究してきた身としては、成果や製品よりも、むしろそのプロセスに興味があり、そこにビジネスとして投資をするという発想が重要だと考えている。

日本の基礎研究には、公的な研究費がつきにくいという話を聞いたことがあるのではないだろうか。OECD各国の発表を元に科学技術・学術政策研究所(NISTEP)が分析したデータを元に文部科学省が昨年公表したまとめによると、研究費の政府負担割合は、日本は主要国(米、独、仏、英、中、韓)と比べて低く、こうした状態が少なくとも20年に亘って続いている(文部科学省「我が国の研究力強化に向けたエビデンス把握について」,2021年10月13日,p19)。2000年を1とした大学部門の研究開発費の指数をみると、韓国は4.7、米国は2.6で、中国に至っては19.0だが、日本は0.9と著しく低い。さらに、研究費を性格別に分析した経済産業省の昨年のまとめを見ると、前述の主要6ケ国ではいずれも研究開発費や応用研究費に比べて基礎研究費の比率は低いが、特に日本は低く、例えばフランスと比べて10ポイント以上低く、韓国にも2ポイント以上差をつけられている(経済産業省「我が国の産業技術に関する研究開発活動の動向-主要指標と調査データ-」,2021年11月,p20)。

かつて、友人の素粒子物理学者から「応用研究とは違って、基礎研究は直接的に社会の役に立たない」ときっぱり言われたことがある。しかし、「基礎」があってこその「応用」であることは明白である。直接的に社会的コンセンサスがなくても、基礎研究にこそ予算を割く、つまり投資するというのが、成熟社会のコンセンサスだと私は考える。しかし、基礎研究には予算が付かず、製品や成果を短期的なゴールとしたプロジェクトには予算措置や投資がされるのは、前にこのブログでも述べた「四半期」や「年度」に代表される、短期的成果に偏重した意思決定が蔓延した結果だと考えられる。

「マンモス復活」という目的それ自体に投資をするということは、馬鹿げているかもしれない。「復活したとて何になる」と多くの人が疑問を抱くのはある意味当然だし、直接的、短期的に社会にインパクトがないとされがちな基礎研究の要素が極めて強い。だが、「マンモス復活」という目標に向かっていく「プロセス」において「副次的に発生する結果」こそが投資対象であると考えることもできる。

冒頭で紹介した記事によると、「かつてマンモスが草を食んでいたシベリアや北アメリカのツンドラ地帯では今、永久凍土に閉じ込められていた二酸化炭素が、急速に進む温暖化のせいで大気中に放出されるようになっている」(東洋経済オンライン「『マンモス復活』ベンチャー、その驚愕の事業内容」,2021年9月19日)という。マンモスが生きていた時代は、コケに覆われたツンドラ地帯の大部分が草原で、マンモスがコケの広がりを抑え、排泄物によって土壌に栄養を与える役割を果たしていたとする説があるといい、「草原が復活すれば、凍土が溶けて浸食される事態が防げるほか、温室効果ガスを地中に閉じ込める効果も期待できる」(同上)というのだ。

マンモスを蘇らせるプロセスでの生態系の変化に、気候変動対策として着目すれば、SDGsを掲げる私たちの社会が持つもっとも重要かつグローバルな社会課題の解決につながるだけでなく、SDGsに資するたくさんの副産物そのものが、直接的にマネタイズできる成果やサービスになる可能性が高く、ゆえにビジネスとして巨大なポテンシャルがあると考えることができないだろうか。

国連環境計画(UNEP) のデータなどをもとにした 民間調査 によると、2050年の気候変動ビジネスの市場規模は、温室効果ガス(GHG)の排出を抑制する「緩和ビジネス」においては353兆円規模、気候変動による環境変化に対応する「適応ビジネス」においては最大50兆円になるとの推測がある。研究プロセスにおいてビジネスチャンスの余地を見出すことができるなら、それは十分投資対象になると認識されるのではないだろうか。

ところで、「マンモスを復活させる」という目的を仮置きして、それを遂行するために、ユニークな切り口で資金調達や予算調達(役所の予算)、あるいは社会的コンセンサスを得る、というやり方は、実はインターネットの誕生においても採られた手法だ。

私が2010年に書いた 論文 の中でも記しているが、そもそもインターネットの元となったNII (National Information Infrastructure)構想は、米クリントン政権下で2001年までの2期8年副大統領を務めた アルバート・ゴア・ジュニア の仕事だが、彼は、直接的にNII構想の実現、ひいては将来のインターネットの実現を目的として予算獲得と、その合意形成をしたわけではなかった。代わりに「教育」という大義を掲げ、NREN(National Research and Education Networks=全米教育研究ネットワーク)という組織を味方につけて予算を獲得した。

コンピュータ・ネットワークは、アメリカの安全保障と経済的繁栄にとって必要不可欠な要素であり、スーパーコンピュータを政府の資金によって設置し、全米の図書館をネットワークによって繫げて共同研究ができる環境を実現できれば、その延長上に初等・中等教育や社会教育までをコンピュータ・ネットワークの射程に取り込めるーー。それが、彼の論理的な建て付けだった。「教育」への投資であれば、共和党であろうが、民主党であろうが、政治思想の違いを越えてコンセンサスを得やすい。そういった切り口から予算を獲得して、NII構想、そしてその先のインターネット社会を実現したのだ。

「マンモス復活」も、実はこのA・ゴア・ジュニアのストーリーと同じである。マンモス復活そのものでは資金調達は困難だが、「気候変動」という大義があれば、A・ゴア・ジュニアがNII構想を打ち上げた際に「教育」という大義を用いたのと一緒で、調達が可能となる余地がある。このチャレンジのプロセスで生まれる企業体や新しいテクノロジーがもたらすデータセットやスキルセットなどは、仮にマンモス復活という目標が実現しなくても、非常に重要な「成果物」となり、むしろそちらの方がマネタイズできる可能性がある。

イノベーションが生まれやすい社会基盤を育てるために、何が足りないのか。それを考える上では、どのように大義を設定するべきかという課題が、プロジェクトリーダーの側に突きつけられてはいるものの、マンモス復活プロジェクトが示唆しているのは、最終目標という一点のみではなく、それに至るプロセスの副産物を、いかに「成果物」というポテンシャルとして正当に評価するかを、むしろ投資側に問うていると見るべきである。これがいわゆる投資家の「テック・リテラシー」である。結果に飛びついたり、成果を急いだりすることだけに固執するのではなく、基礎研究を重視して長期的視点で育みつつ、成果に至るプロセスを大切にする姿勢こそが、今の私たちの社会に必要なのかもしれない。



ガーディアン・アドバイザーズ株式会社 パートナー 兼 IT前提経営®アーキテクト
立教大学大学院 特任准教授
高柳寛樹
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高柳の著書はこちらよりご参照ください。
「IT前提経営」が組織を変える デジタルネイティブと共に働く (近代科学社digital)2020
まったく新しい働き方の実践:「IT前提経営」による「地方創生」 (ハーベスト社)2017
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