ガーディアン・アドバイザーズ株式会社 IT前提経営®アーキテクト
立教大学大学院 特任准教授
高柳寛樹
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高柳の著書はこちらよりご参照ください。
続・まったく新しい働き方の実践〜なぜ働き方は自由にならないのか。DX未完了社会の病理〜(ハーベスト社)2022
「IT前提経営」が組織を変える デジタルネイティブと共に働く(近代科学社digital)2020
まったく新しい働き方の実践:「IT前提経営」による「地方創生」(ハーベスト社)2017
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「IT人材」不足を嘆く前に、マネジメントが理解するべき「異文化論」
DXアドバイザーをしていると、多くのお客様から「IT人材不足」「IT人材が採用できない」という声を聞く。そして「そもそも IT人材とは何か」という議論に行き着く。つまり「IT人材」の定義がないまま「IT人材が不足している」という状況に陥っているのだ。実際、IT人材という言葉や概念を因数分解するのは難しい。いったいなぜか。
資格と連携したジョブディスクリプションの不在
IT人材を因数分解すると、二つの因子に分かれる。一つは、コーディングができるようなソフトウェアエンジニアという技術専門職(スペシャリスト)。もう一つは、深い専門性というより幅広い知識や経験を持ち、事業を形作っていくビジネス人材(ジェネラリスト)だ。前者のイメージは容易だが、後者は少し難しい。ごく簡単に表現すると、エンジニアではないしコーディングもできないことが多いが、既存のビジネスにテクノロジーを掛け合わせて新たなキャッシュポイントを生み出す力や、ITベンダーをコントロールする力などが求められる、と認識している。
参考資料1
IT人材ではないが、会社の情報システム部門を内製化すべきか外注化すべきかという議論における、情報システム部門がもつべき能力の議論に用いられる資料(弊社作成)
参考資料2
参考資料1の議論を前提に、さらに細かく「出来る事」を分類し、それぞれが企業組織にどのようなインパクトを与える潜在性をもっているかを議論する際のディスカッションペーパーの一部(弊社作成)
人材評価の客観的指標に、資格がある。資格があれば、それを持つ人にどんな能力があるかが明確だし、さらにそれが人事にしっかり位置付けられていれば、給与として反映できる。例えば税理士資格があれば、税務書類に押印できるし、公認会計士の資格があれば監査法人で監査業務ができる。自動車整備士の国家資格は3級から1級まであり、高いモチベーションで資格を取得したい技術者を専門的に育成する学校もある。トヨタやホンダをはじめとする日本の自動車メーカーは、サプライチェーン全体で550万人以上が従事していると言われる。そこに大きなマーケットがあるから、専門の学校があり、整備士を養成して、国家資格を与える。パイロットも、
定期運送用操縦士
という国家資格が必要だ。安全に関わることだから、国としてしっかり育てて維持する環境がある。
日本のハードウェア産業が「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われた時代は、こうした教育制度を含めた「構造」によってもたらされた。例えば、ロボコンでお馴染みの全国57校ある
高等専門学校(高専)
も、職業エンジニアを育てるための特徴的な仕組みで、高専を出てそのまま大手企業にスペシャリスト(技術専門職)として採用されるルートが存在している。私もエンジニアを採用するときは高専卒を狙って会社説明をしにいく。つまり、特にハードウェアの時代に長い時間をかけ標準化された教育制度や国家資格というわかりやすいディスクリプションが構築されたため、企業側としても、その学校で何を勉強し、何が身につき、それがビジネスにどのように生きるかという、いわばフォーマットが確立されていたのだ。もっぱら、最近の高専はソフトウェアエンジニアの教育と育成に力を入れており、教員の専門の分布は、かつてはハードウェアが多かったが、今ではソフトウェアの教員も多くなった。徳島県の過疎地でターンアラウンドの成功事例として一躍脚光を浴びた神山町には、58校目の私立の高専として、「テクノロジー×デザインで人間の未来を変える学校。」を謳う
神山まるごと高等専門学校
が来春開校予定だ。
実は、ソフトウェアにも国家資格はある。
ITパスポート試験
が一番簡単な国家資格で、企業研修の成果として受験した経験がある方もいらっしゃるのではないだろうか。これを担う経済産業省所管の外郭団体、
情報処理推進機構(IPA)
は、プロジェクトマネージャ試験など
いくつかの国家資格
を扱っている。ただ、ソフトウェアの場合、ハードウェアと違って、これまで上述してきたたように、その資格を持っているとバンド型賃金制度の中でどの賃金バンドに位置することができるかとか、あるいは、どういった会社に就職できる可能性が高いのかなど、ジョブディスクリプションに反映される仕組みがないという問題がある。
ソフトウェアエンジニアリングの世界でも、例えばグローバルでトップの
ERP
ベンダーである
Oracle
や
SAP
は、それぞれ
オラクルマスター
や
SAP認定コンサルタント資格
という資格制度を持っている。ソフトウェア会社が独自に出している民間資格だ。従ってSAPを導入している会社やSAPのディストリビューターがエンジニアを募集する際にSAP認定資格があると優遇されるというように客観的な指標になっている世界があることも事実だが、これは「IT人材」と呼ばれる中でもコーディングを行うプログラマーやシステムエンジニア(スペシャリスト)の世界の話である。それでは「IT人材」におけるジェネラリスト側はどうなのか。
ソフトウェアの特性の一つに「操縦する側に免許がない」という点もある。自動車運転免許と違って、ITに関しては「操縦する側」は無免許だ。これも興味深い点で、例えばソフトウェアエンジニアリングの資格があるというだけでITビジネスをドライブできる訳ではない。ITを使ってビジネスをリードする人たちのことを「IT人材」と呼んでいる一方、その能力が因数分解できていないため、適切に採用することも教育することもできない。採用側がそういった準備不足であるため、仮にIPAが資格制度を運用しても、前述の通り、その資格を持ったからこそ開けるキャリアがハードウェアの世界のように明確ではない。ここがまさにIT人材の評価の難しさなのだ。従ってこれはひとえに、雇う側がそれを理解しているかどうかという問題に行き着く。
ソフトは「ベストエフォート」型、ハードは「ギャランティ」型
ソフトとハードの間には文化の面でも大きな違いがある。
ソフトウェアはアジャイル文化が、ハードウェアはウォーターフォール文化が背景にみえる
。例えばインターネットの世界ではベータ版の概念がある。サービスとして完全ではないからお客さんも含めてみんなで作ろう、とベータ版をリリースする。しかし、ハードウェアではこれはできない。自動車も飛行機も「バグがあるかもしれません」「もしブレーキ効かなかったら教えてください」というわけにはいかないからだ。
もう少し整理すると、インターネットのサービスの中には、
ギャランティ型
の世界と
ベストエフォート型
の世界がある。今のウェブの世界はベストエフォート型で、それを文化として多くの人が理解しているので、サービスに何かちょっと問題があっても、「仕方ないなあ」といい、1日待ったり、Twitterにサービス名のハッシュタグをつけて良いお節介として問題を指摘したりする。
一例を出そう。Skypeと電話は、最終的な機能はほぼ同じなのに、電話はギャランティ型だから、少しでも繋がらない時間があると大騒ぎになる。先日の
KDDIの大規模通信障害
もそうだが、生命維持に関わる
ユニバーサルサービス
に位置付けられたギャランティ型のサービスダウンは大きな批判を受ける。一方のSkypeはソフトウェアだからベストエフォート型。たまに繋がらなかったら「ごめんね、ちょっと時間くれたら直すかもしれないよ」で許される。
Microsoft Teamsも先日ダウン
した。TeamsのようなBtoBの有料サービスには費用を支払っているので、ダウンしたら問題だ。しかし同時に、その場合一部返金する
SLA(Service Level Agreement)
がある。翻って、ハードウェアは「車のブレーキが効かなかったらごめんね」など成り立ちようもないので、それを支える人材の能力の定義やそれに伴う人事制度・賃金バンドもしっかりしたジョブディスクリプションと連携する世界がある。ゆえにその背景として権威となる国家資格や民間資格の地位もしっかりとしている。
教養の軽視が文化の無理解を生む
これらがハードとソフトの決定的な文化的差異だ。世の中が急激に
ソフトシフト化
している中、ハードウェアとソフトウェアそれぞれの文化的差異やインターネットの歴史を、雇う側が理解していないとIT人材を正しく評価できない。ただ、悲しいことに、こういう文化論は経営実践の中では敬遠されがちだ。文化論は一般的に金とは無関係と理解されている。
果たして金とは無関係だろうか。昨今コンサル界隈はITコンサルと人事コンサルが活況だ。私はDXの3要素として「科学の導入」「文化の更新」「人事施策」を繰り返し発信している。
その2つの分野のコンサルが活況なのと、私のDXの分類の意味は相関する。IT人材がどういう哲学的、歴史的背景に影響を受けているかがわからないと、それを理解できないし、そういう人を採用し、教育し、評価したりできない。だから、ソフトウェア(またはソフトウェアのビジネス)の理解が、特にこの日本では進まない。技術を支える文化的背景の経営実務的な重要性に気づいてほしくて、私は「ビジネスとアカデミアの永続的な循環関係」の重要性を繰り返しお伝えしている。昨今の
Web3
の議論は、まさにリベラルアーツの背景を語らないと理解が及ばない。特に欧米はこの意味をよくわかっていて、ビジネスマンがリベラルアーツを重視し、議論を好み、そんな雰囲気を作り出そうとしているように私には感じる。
そもそもインターネットの大衆化(社会実装されはじめるタイミング)の源流は、 1970、80年代に遡る。西海岸でヒッピーたちが反戦運動をしていたころ、それと呼応する形でハッカーたちが、哲学者の
イヴァン・イリイチ
の著書『
脱学校の社会
』や『
コンヴィヴィアリティのための道具
』 をバイブルにして、権力や大資本だけに情報が支配される社会へのアンチテーゼを繰り返した。これが今のPC(「パーソナル」コンピューター)でありインターネット(情報の民主化)として昇華している。Web3も一緒で、アンチ中央集権の世界(decenter)を作ろうと、技術としてのブロックチェーンやアプリケーションとしてのNFTを作り、「centerとしての」GAFAに管理されない社会を目指している。
マネジメントは優秀な「IT人材」を採用したがるが、そういう歴史的・文化的背景を理解した上で彼らに接しないと完全に舐められてしまい、いつまで経っても採用できない状況が続いてしまう。「優秀なIT人材」が自分や自分が親しんでいる技術を理解してくれている会社に行きたいのは当然だ。拙著『
「IT前提経営」が組織を変える デジタルネイティブと働く
』にも書いたが、IT前提経営®︎の6大要素の中に「デジタルネイティブの理解」がある。問題は、組織の側が、今回述べてきたような文化や哲学、歴史を理解していないということに尽きる。今一度、自分達の組織やマネジメントが「金にならない」と揶揄され続けている「文化」を理解できているかを確認し、必要あれば好奇心をもって歴史的背景を確認することが肝要だ。