――邦銀からキャリアをスタートしていますね
新卒で入社したのはメガバンク、三菱UFJ銀行でした。最初はいわゆる支店勤務。法人営業とリテールの両方をやる部署だったので、基本は企業への融資でしたが、オーナーに投信をお勧めする、みたいな営業も並行して担当していました。そして2年ほど後に、IT系の部署へ。為替予約や通貨オプションなどを扱う、市場系のシステムを担当していました。
支店勤務の頃、ちょうどマイナス金利やフィンテックの流行で、銀行の先行きに不安を抱き始めました。フィンテックには関心があったので、IT系のスキルをつけたいと思い、異動希望を出しました。もともと金融そのものに対する熱い想いみたいなものはなかったので、最先端のことをやってみたいと。まだ辞めるというビジョンはなかったのですが、銀行の中で伸び盛りになるのはそういう仕事かな、と思ったんですね。
実際にフィンテックのような新規事業を担う部署は、自分が希望を出した部署とは別に新設されていたので、既存のレガシーのシステムを見る部署への配属となってしまったのは、選択ミスでした。しかし、行ったら行ったで2年間、いろいろな経験ができました。最初の半年は、銀行のIT全体を取りまとめる部署でOJTをし、その後1年半はIT系の関連会社に出向して、システム開発のプロジェクトをゴリゴリやっていました。
――なぜ転職を考えるようになったのでしょうか
銀行で、支店、本部のIT部門、関連会社と、三つ違う立場を経験した自分なりに思ったのが、やはり銀行って意思決定のスピードが遅いな、と。支店にいたときは、本部ならもっと意思決定が速いかなと思ったんですが、むしろ遅くなったりする。外部環境の変化のスピード感とのギャップを感じ、ここにずっと居続けるのはどうだろうと思い始めたんですね。
それで、転職エージェントに登録しました。どちらかというとスタートアップとか外資系のように、日系のいわゆるレガシー企業ではないところを考えていたところ、エージェントが勧めてきたのがガーディアン・アドバイザーズ(以下 GA)でした。
「金融とITをやってました」みたいな自分のキャリアと照らし合わせると、「M&AとDXをやっています」というのがなんだか似てるなって。よく考えたら違うんですけど、そのときの僕は「自分にフィットするかも」と思ったのがきっかけです。
――2019年に入社。会社の規模の違いなど戸惑いはなかったのですか
当時と今では状況が違っていて、そのときは5人ほどの社員がみな、M&AとDX、どっちもやる感じだったんですね。それはそれで、どちらも専門性が高いところを身につけられるのはいいなと思いました。
カルチャーの違いは感じました。一つの例で言うとマニュアルがない。前の会社は、なんでこんなにというくらいマニュアルがあって規則が定められていて「面倒くさいな」と思っていました。今となっては、あれはあれで業務標準化のために必要なんだってわかるのですが。
一方のGAは何も参照するものがなく、みんなの経験や知識ベースでゼロからスクラッチで作り上げていく。そんな感じなので、この表現がいいかわかりませんが、みんな「青っぽい」というか、優しいんですよね。
例えば、お客さんに提出する資料のファーストカットを作ってくれ、みたいな話があったときに、ある程度作れる部分と、何から手つけていいのかさえわからない部分、どちらもある。前者の方だと、とりあえず作ったものに対して、もっとこうしたら伝わりやすいとか、そういうフィードバックがもらえる。後者に対しては、それはそれで丁寧に教えてくれる。慣れるまで、そういうサポートはすごくしてもらっていましたね。
――みんなで一緒に新しいビジネスを作っていく、というような雰囲気は感じますか
最初から一人前ではないけど、ただの小間使いではなく補助戦力として見なされている感覚はありました。まわりが見えるようになるまで1年ぐらいはかかりましたが。
入社半年ぐらいで、M&AアドバイザリーとDXアドバイザリーとに分かれた今の形になり、僕はその時点でDXの専属に。DXの方は何となく勘はあってもM&Aは全くだったので、二つにセパレートしたとき、不安がなくなったんですかね。
自分にとって転機になった案件がどれだったか…これというのがあんまり思いつかないんです。だから急にキュッと、というより、様々な案件を経験するなかで徐々に成長してきた感覚ですね。
今はチームに5人いますが、最初は「IT前提経営®アーキテクト」の高柳寛樹、現在エグゼクティブディレクターの小川修平と僕の3人だけだった時期が3年ぐらいありました。抱えている案件を3人全員でやるのが基本体制で、その中で、資料を作るとかの雑用系は全部僕がやっていました。一人の人間で言うなら、高柳が心臓、小川が頭、僕はそれ以外という感じですかね(笑)。
――先輩の仕事を間近で見たりしながら、成長の実感を得る節目がたくさんあったのでは
こういう内容は3人とも初めて、みたいな案件をともに経験してきたので、それこそフォーマットがない中で、具体的な案件を進めながら考えてきました。それが初回だとしたら、2回目からはあらかじめ全体が見えている中で、もうちょっとここを効率的にやった方がいいんじゃないかとか、そういう改善をしながら今に至っています。
都内を中心に約1千棟規模で展開していたシェアハウス物件をリブランドしたハドソン・ジャパンさんの「TOKYO β(トーキョーベータ)」へのDXアドバイザリーの案件は、僕にとっては一つの成長ストーリーとなりました。
GAは物件管理システムやWEB サイトの構築、SEOを含むデジタルマーケティングといった点で参画したのですが、3人のうち一番下の僕が資料を作る、小川がミーティングのファシリテーションをし、高柳がそこにインサイトを加える、という体制でやってきました。ところが、どこかのタイミングから、僕がファシリテーションまでやる体制になり、最後はほぼ1人でやっていた。1人で放り出されているわけではないのですけど、関わり方を変える中で、最終的に任せてもらえるようになったと思います。
――やりがいはどういうところにあったのですか
このプロジェクトの難しさは、関係者が多岐に渡ること。事業のオーナーとしてハドソン・ジャパンさんがいて、事業の運営会社として3社いて、その中の1社は僕たちのクライアントでもある。運営会社それぞれにシステム開発しているベンダーがいて、さらにブランディングを担う会社や 、SEOをみるベンダーもいる。そんな感じで10社以上が絡んでいて、一つの話を決めるのも大変でした。
いろんな関係者が入り交じるけど、その分単に現状を把握するのではなく、もっと成長させるにはどうしたらいいかを考えるのは、すごくおもしろかったです。破綻したシェアハウス投資の事業再生プロジェクトという、入りがマイナスな分、よけいに前向きというか。ITを活用することでもっとこうやって事業価値を上げていこう、みたいな。
――この先のご自身の課題は
これからもっとやらなければ、と思っているのは営業です。人が足りないというのもありますが、営業があまりできていない。ありがたいことに今、どちらかというと、リピートのクライアントからの引き合いの案件だけでも忙しいのですが、もっと潜在顧客にもアプローチしてクライアントを増やしていきたいです。
そのためには、当たり前ではありますが、クライアントにとって最善・最適なアドバイスを提供できなければならない。例えば、僕らが関わらないのが最善であれば、そこはそこで伝えないといけない。GAの僕としては困るけど、大事なのはクライアントですから。
僕がGAに参画した頃と違って、DXという言葉自体は一般的になったし、社会全体のリテラシーが一段上がってきたと感じています。一方で、そういう中でもいまだにある障壁が何かというと、二つあると考えています。
一つは、僕たちのDXアドバイザリーを受けたときに何がどうなるのかのイメージを、相手が持ちにくいということ。そして、二つ目は、それに向けてこうやりますということを、相手が理解できるレベルにまで僕らが噛み砕けてないこと。どちらもあるように思います。
先日あったのは、ある製造業のクライアントに提案書を出したのですが、スコープのイメージがわかないのでもうちょっと噛み砕いてくれ、と言われました。 GAがDXアドバイザリーをしたら、例えばうちの会社は3カ月後にどうなっているの?と。今ではだいたい、常時6つぐらいの案件を同時並行で進めている感じですが、その点はクライアントごとにバラバラなのが実態です。とはいえ、そこのイメージを膨らませて、こちらから提示できるような攻めの営業の力をつけたい。
振り返ると、前の会社の同期とかよりは、いろんな経験をさせてもらったりロールを担わせてもらったりしている実感があります。だけど、実際にそうするかは別として、1人で何事も完結させられる実力を持たなければと感じています。身近な例でいうと、高柳や小川は自分で会社を経営した(している)経験を持っていて、個人の強さがあります。彼らの経験を踏襲することは難しいけれど、知見やノウハウを吸収することで、会社や肩書きにとらわれないもっとマチュアな人間になれるのでは、と考えています。GAのそのような環境を生かし、自分自身もっと成長し、それが引いては会社の成長にも繋がるような、好循環を生み出していきたいです。