技術の起源に隠された権威の「見えざる手」

標準化の3類型(「デジュール標準」「デファクト標準」「オープン標準」)については、かつてポストした。このブログが「IT前提経営®️ブログ」であることを考えると、いわゆるインターネット(TCP/IP)の社会への導入プロセスたる「オープン標準」についての議論がしっくり来るのだが、実はこの100年くらいの歴史を振り返ると、テクノロジーが社会に導入されるプロセスの多くはデジュール標準に近かった。

例えば、テレビの技術の標準化プロセスも非常に興味深い歴史だった。テレビの父は 高柳健次郎 だということをご存知の方は多いと思う。この技術決定は1900年代初頭に行われ、高柳は「電子式テレビ」という方法を用いてテレビの開発を行っていた。

一方同時代に、この「電子式テレビ」は、「機械式テレビ」という方法とその標準を争っていた。争っていたというか、実は当初、圧倒的に機械式テレビの技術が学会の中心で権威だった。この機械式テレビの開発を率いていたのが、当時早稲田大学で教授をしていた 川原田政太郎 だった。一方の電子式テレビの高柳は、川原田とは対照的に、浜松高等工業学校の教員というエリートからは外れた立場で、従って少ないリソースの中で、当然業界のメインストリームからは大きく外れたところでこつこつと電子式テレビの研究と開発をしていた。

1930年3月にラジオ開局5周年を祝ってNHKが東京で開催した展覧会に川原田と高柳の両方の方式が展示されたが、その展示規模やそこに集まる人々の興味関心は圧倒的に川原田の機械式であり、あまりに高柳の電子式の扱いが小さかった。そのため高柳は、この展示を見に上京した自身の従兄弟について「テレビジョン人気につられて上京した私の従兄などは、早稲田式と比較してがっかりし、私に語りかける言葉もなく、しおしおと帰っていった」と当時を自伝の中で振り返っている。​​

しかし、技術の進歩が「加速」するタイミングというのは、どの時代にもわからないもので、1930年にウラジミール・V・ツヴォルキン​が米国で​アイコノスコープ(世界で初めて作られた実用的な撮像管)を発明したことを境に、世界のテレビ技術研究の動向が高柳の電子式に傾いてきた。この瞬間を見逃さなかったのが、旧逓信省のテクノクラート(技術官僚)だ。日本の学会の雰囲気は依然として川原田の機械式であったと言われている中で、どうにか流れを電子式に変えようと、宮内庁詣を繰り返すようになる。

結果、非主流であった高柳健次郎の研究室を昭和天皇が「天覧」することになる。高柳は電子式テレビを使ってイロハの「イ」の字をブラウン管に投影し、昭和天皇はこれを賞賛した。そして多くの新聞記者を伴った「天覧」の成果は翌日の新聞誌面を大きく飾ることになった。

これを受け、高柳はそれまでの浜松高等工業学校の一教員から 奏任官 (教授)に一気に昇格し、彼を助ける研究員も、教授2名、助教授4〜5名、助手を10名ほど雇い入れることが認められ、NHKと文科省から当時の金額で数千円を超える研究資金を毎年得ることになったのだ。一夜にして非主流から主流に躍り出た高柳の電子式テレビは、その後、日本だけではなく、世界の「標準」となり、日本の家電産業の成長を支えたのは言うまでもない。

このように技術の標準化の3類型において、結果としてデファクト標準と思われていたものも、巧みに調整された「見えざる手」が加わっており、そのプロセスを丁寧に遡ってみるとデジュール標準であることも多い。私たちの周りに当たり前のようにある技術の一般ユーザーたちは、その技術の起源を喪失するのが常だ。

インターネット(TCP/IP)はこの3類型においてオープン標準と言われることが多い。しかし、やはりその歴史を遡ってみると、多くの米国のテクノクラートの動きが垣間見られ、必ずしも完全に民主的に「市民」の手によってできあがった技術ではないことが分かるのである。

米国クラウド企業によるビッグデータの独占に対する懸念が広まる今、技術の起源を喪失せず、いったいその技術の起源は何なのかをしっかり考える必要がある。


参考論文
高柳寛樹/著
メディア産業における根幹技術の決定・採用過程と、それに働く「文化装置」に関する一考 : テレビとインターネットの事例を中心に (応用社会学研究​​)2010




ガーディアン・アドバイザーズ株式会社 パートナー 兼 IT前提経営®アーキテクト
立教大学大学院 特任准教授
高柳寛樹
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高柳の著書はこちらよりご参照ください。
「IT前提経営」が組織を変える デジタルネイティブと共に働く (近代科学社digital)2020
まったく新しい働き方の実践:「IT前提経営」による「地方創生」 (ハーベスト社)2017
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