買収価格は1株当たりまで考える習慣が大事
新聞記事などでは買収金額は100億円など総額で記載されていることが普通です。しかし、買収が株式取得で行われる場合、実際に取得するのは株式であり、会社が株式を1株しか発行していないということは稀ですから、本当は取得株式数×1株当たり取得価格(=株価)で取引を行っています。
買収側は通常は1社ですからざっくりと総額で買収金額を考えがちであり、企業価値評価においてもそれで8割方問題は生じませんが、売却する側の株主は1人とは限らず、むしろ1人である方が例外的で、上場企業であれば不特定多数になります。つまり100%を保有している株主というのは特殊なケースです。総額で考えがちな買手は、いざ取引を行う際の個々の株主にとって大事な1株あたりの視点を後回しにしがちですが、それが後々取引実務において障害になることは多々あります。
その時価総額の株式数は合っていますか
ある企業の株式100%の価値である株式価値(エクイティバリュー)は、企業全体の価値をあらわす企業価値(エンタープライズバリュー)から純有利子負債を控除した金額になります。よく用いられる等式は以下のとおりです。
株式価値 = 企業価値 - 純有利子負債
企業価値 = 株式価値 + 純有利子負債
100%株式取得の買収の場合の株式取得金額は株式価値に相当します。なお、実務の世界では、単に買収金額という場合、株式価値ではなく企業価値を指します。このあたりは混乱を招きやすいため、オークションの入札案内では、デットフリー・キャッシュフリーでの買収価格、という概念を用いて、純有利子負債をゼロとみなすという強力な前提を置くことで、企業価値 = 株式価値となるように用語を強引に一致させるということをよく行います。
上場企業の時価総額は、株式価値に相当します。では時価総額はどこから得られるか。総額という名の通り内訳があり、それは株式数x株価だろうということになります。しかし、実際の時価総額の計算はそれほど単純ではありません。各種資本政策により、上場企業の株式には自己株式、優先株(種類株式)、潜在株式(ストックオプションや転換社債など)といったものがあり、株式数が簡単にはわからないのです。
GoogleやYahooで株価を検索すると時価総額という指標があります。この数字は、普通株式の発行済株式総数×株価で計算されています。簡易計算であり目安にはなりますが、実務で使う数値としては厳密さに欠けます。なぜなら、上記に挙げたような自己株式、優先株、潜在株式の存在を考えていないため、GoogleやYahooの時価総額は、買収しようとする時の買収価格とは一致しないことが普通だからです。
ここでは簡単な一例で示します。発行済株式数が1万株で株価が100円だとGoogleでの時価総額は100万円と計算されます。この会社が自己株を1000株保有していたとしてもGoogleでの時価総額は100万円のままです。では株主が保有している株式数は実際どれだけあるかというと、1万株から1000株を引いた9000株になります。株価が100円ならば9000株x100円の90万円が正しい時価総額です。実際、9000株を100円で取得すればこの会社を100%買収できます。株式数を細かく見ていく必要があるのです。
優先株や潜在株式を考えると計算はもっと複雑です
自己株以外にも、前述のとおり、企業は優先株やストックオプション、転換社債といった普通株以外の株式関連の有価証券を発行していることが多く、議論は複雑化します。繰り返しになりますが、Googleの時価総額には、優先株や潜在株は含まれておりません。今度は逆に、Googleの時価総額ではこの会社を100%買収することはできないということがわかります。
普通株式を100%買収しても、議決権のある種類株主が残るかも知れませんし、普通株への転換権のある優先株主がいるかも知れません。これらを取得しなければ100%買収とは言えないですし、取得するための株価を見積もらなければなりません。ストックオプションなどについても同じことが言えます。実務上は、普通株式以外のこれらの有価証券についても転換条件などを考慮して、完全希薄化後株式数(fully diluted shares outstanding)という概念を用いて株式数とします。
完全希薄化後株式数の計算においては、転換されたら何株になる、という仮定の計算をしますが、転換権の行使には金銭の払込みを伴うことも多く、その場合、会社のキャッシュが増加するため株式価値は増加します。要するに暗算で済ませられる計算ではないということで、このあたりでこの話は留めます。
その買収金額は1株当たりに割り切れますか
株価がわかっていても、株式数を厳密に計算しなければ本当の時価総額はわからない、という話とは逆に、株式価値を算出しても、それで実際の株式取得が行えるとは限りません。実際に売買するときは株式全体を一括購入とはなりませんので、個々の株式を1株当たりの単価で取得することになります。そして、現実世界の値段には円より下の小数点以下はありません。
仮に、株式価値100億円と見積もった会社を買収しようとした時に、株式数が3500万株だったとします。100億円を3500万株で割ると、1株当たり285.71…円と割り切れません。これでは取引できませんので、285円か286円にしなければなりませんが、この1円の違いは99億7500万円と100億1000万円の違いとなり3500万円の開きになります。専門家費用をある程度まかなえるほどの金額水準の差額が、買手と売手の間に突然生じることになります。
買収側は特に株主1人1人との取引のイメージが大切
買収価格をまるっと株式価値や企業価値ベースで捉えるだけでなく、1株あたりでも常に考える習慣をつけるべきなのは、実際の株式取得は個々の株主から行うのだという発想に立てば自然です。
そうすれば、取得する必要のない自己株に価値を支払うことはありませんし、潜在株には価値を認めることになります。さらには、個々の株主が売却により満足のいくキャピタルゲインを得られるのか、彼らは円建てよりもドル建てやユーロ建てで考えているのではないか、なども想像できるようになります。
株主が不特定多数いる場合でも属性を分析することで得られる示唆はたくさんあります。ましてや株主が数えるほどの場合には個別にバイネームで見ていくことも現実的です。くれぐれも、まるっとした株式価値では現実の株式取得は行われない、ということを肝に銘じておくことが大事でしょう。
ガーディアン・アドバイザーズ株式会社
代表取締役社長 兼 CEO
佐藤 創