M&A取引におけるスケジュール

M&A取引を行う際に、アドバイザーからスケジュール案や日程案を提示された経験のある方は多いと思います。関係者が多くプロジェクト期間が半年以上に及ぶこともあるM&A取引においてはスケジュールの存在はきわめて重要で、スケジュールを固めることは成功のためのイロハのイと言えます。

最近は、チャットやZoomなどのコミュニケーションツールが普及したためか、関係者間でのスケジュール共有が曖昧なまま進んでいくことが増えているように思えます。携帯電話のない時代では待ち合わせの時間と場所を事前に明確に決めておく必要がありました。Googleカレンダーがない時代には、相手の手帳に予定を入れてもらうためには直接伝える必要がありました。

ツールの進化に伴い、明示的に相手に伝えたり合意を求めたりしなくても何人かで出かけることができたり、何となく物事が進む生活を送れるようになりましたが、M&Aにその生活体験を持ち込むと取引が不安定になりがちです。

 

新人の仕事は日程案の作成だったという時代


私が新卒で証券会社のM&A部署に配属されたのは1999年で、もう四半世紀前になります。最初に教えられたのは、M&Aのステップと取引の実務スケジュールの作成でした。典型的なものとして、秘密保持契約書→基本合意書→最終契約書→クロージングという法律行為を起点としたステップを覚えました。その間にトップミーティング、株価評価なども入ります。アドバイザリー契約の締結をいつするかも入っていました。当時はまだ、詳細なデューデリジェンスはそれほど一般的ではなく、数日で終わらせるような時代でした。

案件の特徴や性質を考慮するのはもちろんですが、適切な取引スキームが実行可能な実務スケジュールであることがとりわけ求められました。営業譲渡(現在の事業譲渡)や合併となると、株主総会開催の有無によってスケジュールの制約条件が大幅に変わります。上場企業である場合、取締役会の決定だけで済ませることができても、適時開示の必要性や決算発表時期との兼ね合いも踏まえる必要があります。株式公開買付け(TOB)が必要な場合には、論点が増えます。公開買付けに関する証券取引法(現在の金商法)27条の2以下はいつの間にか覚えているのが普通でした。

当時の直属の上司は引受部(アンダーライティング)出身の方で、M&Aという言葉も専門部署もない頃は引受部が合併などの実務支援をしていたこと、また、引受部ではスケジュールの作成が新人の仕事だったことを教えてくれました。法人部門の担当役員も新卒で引受部配属の方でした。当時の証券会社は新卒が投資銀行部門に配属されることは珍しく、その役員の方は新卒配属から4年間後輩がおらず、すべての案件の日程案をひたすら作り続けていたという苦労話をされていました。私の場合も3年振りの新卒配属で、最初の後輩が配属されたのは3年目の時でした。

コミュニケーションツールが今よりも発達していない時代には、後で修正すれば良い、聞かれたら答えれば良い、という姿勢ではうまくいきませんでした。お互いに限られた場所とタイミングで情報共有とコミュニケーションを行い、プロジェクトを同じ方向へ進めるための実用的なスケジュールの存在がきわめて重要だったと言えます。

 

大まかな日程案の質の違い


その後、米系の投資銀行で働いていた際も、スケジュールの作成が重要なことは同じでした。しかし、あまり細かく実務スケジュールを立てることなく進めていくシニアバンカーに出会います。クライアントのレベルによって、経営陣や担当役員が知っておくべきスケジュールの粒度と、実務チームが知っておくべき粒度は異なります。実務から育つと専門家の色が強くなり、誰に対しても細かな実務スケジュールを提示する傾向が生まれます。しかし、そのシニアバンカーは、相手のリテラシーに合わせることに優れた方でした。経営陣のリテラシーに合わせると、細かな実務スケジュールは不要です。一方で、この方は実務から育っているため、聞かれればいくらでも実務スケジュールを説明できます。また、聞かれればいくらでも説明できるように準備している方でした。

逆に、大雑把なスケジュールやステップを説明できるものの、細かく聞かれると説明ができないバンカーが意外と一般的でした。実務スケジュールを作成する下積み経験がないまま営業部門から転職や異動でM&A担当になる方も多かった時代だからかも知れません。大まかな日程案の背後に、実行可能なスケジュールが計画・検証されてはいないのです。単にイメージやステップで大まかな日程案を作ってもその通りに進むことはないですし、事後対応や突貫作業がどうしても発生してプロジェクトの進行が不安定になってしまいます。先のシニアバンカーと、このような普通のバンカーではやはり、案件を安定的にクローズさせる力に天と地の差がありました。

M&A取引の経験を積んでいくと、新しい案件に出会った時に、大まかなクロージングまでの道のりと期間が見えますが、それは、細かい実務スケジュールの作成と実行の経験の積み重ねから体得するものです。何で詰まりそうかなども感覚でわかりますので、滞りなく進めるために対策も事前に周到に立てられます。もちろん、感覚だけで進めることは危険ですので、実務スケジュールはチームとしては用意しておくべきです。

 

スケジュールの遅延は臨機応変からか無計画からか


リーマンショックと同時期に独立系のM&Aファームに所属しましたが、そこはスケジュール作成の文化があまりない組織でした。まだ創業数年の時期で、メンバーに未経験者が多かったこともその理由であったと思います。当時は、先を見通した進め方をしているとは言い難く、危うさを感じました。先の話で言うと、イメージやステップだけの大まかな日程案で考えている、ないしそもそも日程案を考えずに目の前のことに追われている感じでした。安定感はないものの、逆に社員が粘り強く四苦八苦しながら対応していくことでどうにか案件をこなしていたのです。よく言えば臨機応変、悪く言えば無計画ですが。後者の計画能力が低かったと言うのが事実です。

感覚的な感想ではありますが、スケジュールが遅延する案件が東日本大震災頃から増えた気がします。M&A取引の日常化や法制度の規制緩和によってスケジューリングの自由度が上がったことのほか、やはりテクノロジーの進化で予定が曖昧でも色々なことが進む生活体験が影響しているのだと思います。確かに、現在は、レコメンデーションや予約機能、アラート機能の発達などによって、計画や予定に個人があまり頭を使わなくても色々なことをこなせるようになっています。しかし、そのほとんどは、サービスを受けている立場での体験であることに留意する必要があります。

M&A取引を推し進めるのは当事会社の担当者であり、それを支えるのはアドバイザーになります。これらに代わって予定や計画を作成してくれるテクノロジーもサービスも現状はありませんので、やはり緻密にスケジュールを立てて進めていくことが大事です。スケジュールの遅延は、無計画だったり計画が粗いことにより起きることがほとんどです。状況変化に合わせた臨機応変さを発揮するためにも、よく練られたスケジュールを基盤とすることが、今日も重要であると考えます。




ガーディアン・アドバイザーズ株式会社
代表取締役社長 兼 CEO
佐藤 創

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