必ず「独占」「民主化」「大衆化」の順番で起こる技術の社会化〜インターネットの登場と権威の失墜の関係〜
インターネット史を長く研究していると、その精神がいわゆる「権威」と相入れない、または権威をことごとく失墜させる性質を持っていることに気付く。これはインターネット史に詳しい人であれば誰でも当たり前の前提であるが、この事実を知らないと大組織であればあるほどDXに失敗してしまう。
その昔、1957年のスプートニク・ショックの直後から研究されたパケット通信技術は、もともとARPAでスタートした。その後、全米の大学や大学院、そして米国の国境を超えたアカデミアの方々が広く参加し「オープン」に議論することでこの技術をさらに高め、そしてWindows95の発表と共に世界中のお茶の間に登場したのがTCP/IPつまりインターネットである。
私はこの過程を3つの側面で整理している。つまりARPAの時は国防技術だったため「独占」のフェーズ、大学などのアカデミアを巻き込んだフェーズを「民主化」のフェーズ、そしてお茶の間への浸透を「大衆化」のフェーズとしている。
この「独占」「民主化」「大衆化」の過程はインターネットだけでなく、多くの技術が辿ってきた。かつて、水越伸はラジオの発展プロセスに酷似していることを指摘し、素人でもなければ玄人でもない「中間層」の重要性を炙り出し、ここで言う「民主化」のフェーズの重要な担い手だと分析した。
今は車の技術がこのプロセスの上を動いているように感じる。つまりEV化を急かされているこのセクターでは、重厚長大で権威と大資本の塊のような内燃機関(エンジン)とミッション(歯車)が不要になったことで、西海岸でソフトウェアを扱っていた起業家がものの一夜にして新しいメーカーを立ち上げてしまった。つまり、車はそれまで大資本しか手をつけられない「独占」のフェーズにあったが、今やっと「民主化」のフェーズに辿り着いたと言える。
他にもこれに近い現象が起こっている。レコード(アナログ)からCD(デジタル)に変わった時だ。それまでレーベル(レコード制作・発売会社の意)と呼ばれる資本のバックアップがなければ、ミュージシャンがレコードのリリースを経てプロになれなかったが、CDになることで、相当程度コストを下げて誰でもインディーズや自主出版ができるようになった。さらに、クラウド化によるビジネスモデルのサブスクリプション化で、誰もがデジタル化された全ての音楽にリーチできるようになると、同時に誰もがプロのミュージシャンになれるようになった。仮に貴方がiPadのGarageBandで音楽をつくれば、それをTuneCoreなどの配信支援サービスを経て、Apple MusicやSpotifyに有料で作った音楽を配信することができる。もちろん売れるか売れないかは別だ。一般社団法人ネットリテラシー検定機構は、かつてのメディアリテラシーとネットリテラシーの違いは「だれもが発信できるかできないかの違い」だと整理したが、今や誰もがプロミュージシャンで、誰もが放送局である。つまりレコード時代、もっと遡れば音楽家のほとんどが宮廷音楽家だった時代は「独占フェーズ」で、CDになったタイミングでデジタライズされ「民主化」され、そして今、クラウドになりビジネスモデルがサブスクリプション化した時点で「大衆化」されたのである。
ところでSpotifyの調査では、The Beatlesの楽曲が2019年10月の時点で約17億回再生され、そのうち約30%が18歳から24歳による再生であることが報告されている。驚くべきことにこれはSpotifyの総ユーザー数の10%にあたると言う。つまり、とにかく古今東西全ての音楽がデジタル化されクラウドに溜められたサブスクリプションサービスのため、1960年代の音楽も、直近爆発的にヒットしてる韓流アイドルの音楽も、まったく知名度のない人が制作した音楽も、全てが平準化され権威と非権威の凹凸がなくなり、世代に関係なく消費されていくのである。サブスクの契約者であれば、どの曲を聞こうが聞くまいが同じ値段であることも影響している。つまり、これまで述べてきたように、大レーベルのような、あるいはそれこそメディチ家のような権威や大資本にバックアップされた独占フェーズで立ち上がった商業音楽は、CDに代表されるデジタル化により民主化のフェーズに差し掛かり、そしてクラウド化とサブスクリプションモデルによって大衆化に至ったのである。そして、一部の統計が示唆するように、もはや権威は忘却され、そして平準化の中で消費されるのである。
果たしてこれは良いことなのか。ここでは良いことのように書いてきたが、その裏ではこれまでのビジネスモデルに依存しきってしまい、新しいビジネスモデルに移行できなかったため食えなくなってしまった人たちが沢山いる。
これこそが「ソフトシフト」によって起こったdigital disruptionなのである。今年の年初に自工会の豊田章男会長がEV化によって車産業に従事している550万人の内、100万人以上が職を失うと強い危機感をもって発言したことは皆さんの記憶にも新しいと思う。このブログにもポストした。
例えば、1961-1965年まで運用されたアポロ計画ではその操作板はトグルスイッチだらけだったが、その後1981年から2011年まで運用されたシャトルでは、表示系はディスプレイになり、そしてご存知のDragon2では入力も出力もタッチディスプレイ化された。皆さんがお乗りの車もひょっとすると、もはや入力操作系からはトグルスイッチが消え、全てタッチディスプレイになりアナログメーターが消え、液晶画面になっているはずだ。この話も過去にポストしたが、これこそがソフトシフトであり、アナログメーターやトグルスイッチを作っていた人たちはどうなったかといえば、digital disruptionという残酷な言葉と共にその役割を終えている可能性が強いのだ。
しかしこの現象は今に始まったことではない。河野元大臣が使って日本でも有名になった、1900年代のニューヨークのこの2つの写真は、馬車がたった13年ですべてT型フォードに置き換わったことを示している。(T型フォードの発売は1908年なのでたった5年かもしれない)。つまり、馬車をひく馬を調教しディスパッチしている専門業者はこの短期間に一体どうなったのか、そしてもっと気になるのは馬車を引いていた沢山の馬は一体どうなったのだろうか。
いずれにせよ、私たちは技術によって文明を進めてきた。その技術が「誰の手にもわたるほど安くなる」ことを、いつも期待している。そしてそれが実現したと思われる技術は例外なくこの3つのフェーズを経験しており、その裏にはdisruption(崩壊)が起こっているのである。したがって社会の要請とされるDXもまた、それが完了した時点で見える世界は、必ずしも誰にとっても綺麗な光景ではないのかもしれない。
ガーディアン・アドバイザーズ株式会社 パートナー 兼 IT前提経営®アーキテクト
立教大学大学院 特任准教授
高柳寛樹
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高柳の著書はこちらよりご参照ください。
「IT前提経営」が組織を変える デジタルネイティブと共に働く(近代科学社digital)2020
まったく新しい働き方の実践:「IT前提経営」による「地方創生」(ハーベスト社)2017
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